※広報とよなか2月号“心の風景”から転載
池田中学との初の公式試合
日本の中学高校アメリカンフットボールの歴史は、昭和21年(1946)10月、旧制豊中中学校(現府立
豊中高校、上野西)から始まりました。敗戦後、進駐軍は日本にタッチフットボールを普及するため各地
の旧制中学に指導に回りましたが、その先駆けとして、大阪府内で豊中中学と池田中学校(現府立池
田高校)に白羽の矢が立ったのです。「当日、体育館に集まった50人ほどの生徒有志に指導したのは、
日系二世のピーター岡田軍曹でした」と話すのは当時中学3年生だ
った津田隆治さん(75歳、川西市在住)。2か月余り後の12月28日、
西宮第二球技場で行われた池田中学との公式試合は「わが国初の
中等学校米式蹴球試合」と新聞報道されるなど、注目を集めました。
「試合当日、池田チームの装いはまちまちでしたが、豊中チーム
は手作りのユニホームらしきものをそろえて挑みました。上はラクダ
のシャツを紺色染料で染めて白襟を付けたシャツ、下は野球用の
パンツに黒と赤のラインを入れて。防具がわりにシャツの裏の肩や
ひじ、ズボンの裏のひざや太ももには雑巾のような手製の布パッド
を縫い付け、頭には日本手ぬぐい、といういでたちでした」。結果は
6対0で豊中の勝利。集まった有志のほとんどが創部メンバーとなっ
た「豊中中学タッチフットボール部」は、その後、関西高校選手権の覇者となるなど公立高校のフットボ
ール部としては強豪に育ち、今も「アメリカンフットボール部」として活躍を続けています。
OB会とピーター岡田さんとの交流も40年ほどの時を経て、15年前に復活。豊中池田両校の合同チ
ームがピーターさんの住む米国シアトルで合宿をしたり、逆にシアトルの高校生チームを招いたりした
こともありました。ピーターさんは平成16年(2004)に84歳で亡くなられましたが、昨秋には、津田さんら
OB有志3人が3回忌の墓参りに現地を訪問されました。
豊中高校の中庭にある石碑には、ピーターさんから贈られたメッセージが刻まれ、高校アメフト発祥
の地を後世に伝えています。
中庭にある石碑