【インタビュー】

チームドクター 鈴木 武さん

ケガの選手が戻り、ナイスプレーを
してくれた時、ホッとする

ロードランナーズを支えて


 ―何時からお世話いただいているのでしょうか、以降今に至るまでの現在のご感想を。
 1995年に、現コーチ滝口君らの試合を見せていただいたのが最初で、1年下に私の息子
がお世話になっておりました。
 滝口君のお父様、滝口正紀先生のお手伝いをさせていただいたのが始まりです。私がこ
の仕事をしているのは、大学のときにアメフトをしていたことと、卒業後アメリカでアメフト関
係の仕事ができないかと思い渡米し、組織に入るためいろいろ努力しましたが、何の資格も
ない者は相手にされませんでした。ちょうど、日大のショツトガン、雑誌「タッチダウン」、QB
クラブの始まりの頃です。それで日本に帰り、鍼灸師と柔道整復師の資格を取り、12年ほど
外科医院に勤務しながら鍼灸および接骨院を経て、早いもので30年たちました。

 ―ロードランナーズの選手気質の変化は?
 今は、良いにしろ悪いにしろ個性豊かな生徒が少なくなっています。これまでは個性豊か
な生徒たちが全体を引っ張る力になっていたように思われますが、自分自身を強く主張でき
る子が出てきてもよいと思います。挨拶が苦手な子が多いのも、このあたりから来ているの
かも知れません。
 1年生には1年生の、2年生には2年生の、3年生には3年生の相応のケガがあります。1,2
年生のケガは負傷の中に、精神的な要素がたくさん含まれ、この時期にスポーツに理解ある
先生に見ていただけると、グラウンドへの復帰は早いのですが、なかなかスポーツを理解し
ている治療家は少ないようです。これに比べれば3年生になると、本人に早く復帰したい欲が
出てくるので治療しやすくなります。

 ―忘れられない思い出深いこと、やりがいがあったと思われたことはありますか?
 自分達の不甲斐なさを思い知ることがここ2.3年続いています。鳥肌が立つほどの感動的な
ことは残念ながらまだありません。何しろよい試合ほど、後ろを向いて選手のお世話をするこ
とが私の仕事だからかも知れません。
 負傷した選手を試合中に復帰させて、その選手がナイスプレーをしている時、卒業して大学
・社会人になり、再び頼りにして来てくれる時が嬉しくホッとします。

 ―これからロードランナーズに望むことは何でしょうか?
 やるからには強くなって欲しい、入部したからには3年間続けてほしいし続けさせたい、そし
てアメフトは豊高といわれるチームにしたい。最後になりますが、OB会のみなさんには、スポ
ーツをするのに環境の整ってない豊高ですから、魅力ある強いチームを作り運営するため
に、より一層のご支援ご配慮をお願いいたします。

※会報誌「えんどぞーん」57号から転載

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