■クラブ沿革
名誉ある発祥校で、大阪大会では何度か優勝を重ねるものの、その実力はその後現れた
関学高等部の後塵を拝していた。関学を倒し、近畿大会で初の優勝を遂げるのは昭和44年
であった。そして46年にはタッチからアメリカンに変身。再び王者・関学を破り関西大会優勝を
勝ち取ったのは昭和63年6月であった。
To:Toyonaka High School
After a tragic war、followed
by much confusion and lack
of spirit amongst student in
high schools、I introduced
“Touch Football” at this site
on 1st October 1946
★近畿大会で初優勝★
卒業後も大学でフットボールを続けている選手は多い。古くは関学の俊足ランナーとして名
を残す徳永義雄選手(中学23期、後に関学監督として、甲子園ボウルを制した)、昭和46年、
ユタ州立大との対戦で日本選抜チームの主力選手として大活躍した志村安男選手(関学、
高校20期)、昭和49年、第1回ミルズ杯受賞者の柴田尚選手(関学、高校23期))、平成7年、第
22回ミルズ杯受賞者で、日本人初のプロ選手となった伊藤重将選手(京大、高校43期)らが
名を連ねる。また関西リーグ1部のみならず2部、3部、さらには北海道大学から九州大学ま
で全国各地の大学で活躍している選手も多い。
発祥の地を記念して建立された石碑―豊中高校中庭
★数々の名選手誕生★
ピーター岡田氏から寄せられたメッセージが彫り込まれている
豊中が高校アメフトの発祥の地であることを発信する冊子を発行ー豊中市
豊中市ではこの程、豊中がアメリカンフットボールを始め、高校野球など高校スポーツの発祥の地であること
を発信する2種類の冊子を発行しました。
@とよなか物語 市内のスポーツ施設などで配布
A市勢要覧 マンションギャラリーや金融機関などで配布
昭和21年10月1日、1台のジープから一人の米軍将校が豊中中学の校庭に下りてきた。わ
がフットボール部の幕開けだ。将校の名はピーター岡田氏。戦争に敗れた日本の若者達に
新しいスポーツ「タッチフットボール」を導入し、若者たちの志気を鼓舞し、新しい希望を与え
るためにやって来たのだ。全校から選ばれた若者たちがこのスポーツに打ち込み、旧制中学
生(現高校生)による本邦初の試合が豊中中学対池田中学の間で行われたのは同年12月28
日。豊中は6−0で見事緒戦を飾った。翌22年4月の第1回甲子園ボウルでも再び池田と対戦
し14−0と勝利し、また同年11月の金沢国体での初のエキジビションマッチでは18−18で池田
と引き分けた。このように中学(新制高校)でのフットボール発祥校として輝かしい歴史を有し
ている。
★高校フットボールのルーツ校★
making this school the fountain
-head of American Football
in high schools in Japan
Peter K. Okada
21st July 1996
今では各チームが採り入れている女子マネも昭和37年には登場。ニックネーム「ロードラ
ンナーズ」も昭和47年頃から採用している。採用については77年当時、テレビ放映されてい
た米アニメのキャラクターがモチーフになった。また移動式ゴールポストは平成3年全国で
初めて導入された。「新しいもの好き」は発祥校である豊中高校の伝統になっている。
豊中高校に贈る。
不幸な戦争が終わり、それに
続く数々の混乱のなかで、私は
高校生達に生きる活力を与える
ため、1946年10月1日、この豊中
に“タツチフットボール”の種を蒔いた。
これが日本の高校アメリカン・フツト
ボールの発祥となった。